精神障がい者支援施設で起きる虐待について、支援者の目線から考える⑤ 【受け入れる施設の事情】

施設での虐待とは少し話がズレてしまうかもしれませんが、かなり関係性が強い為、このテーマでも記事を書いておきたいと思います。

実は、このブログを書いている時に、友人がまたしても僕にヤフーニュースのリンクを送ってきた。

内容は、強度行動障がいの息子さんを、長年介護してきたご夫婦のニュース。自分たちが死んでしまった時の事を考えると、誰がこの子の面倒を見るのだ?他人に危害を加えてしまうのでは?と悩み苦しみ、最終的に息子さんを殺してしまったというニュースだった。

本当に痛ましい事件だ。胸が痛くなる。だが、これに関しても僕は、「酷い話だ」と親御さんを断罪する気にはなれない。

何度も重ねて言ってしまうが、重度の知的障がいや、強度行動障がいを持つ人が身近にいると言う事は、本当に本当に本当に大変だと思う。車に乗っている時に突然暴れ出し、窓ガラスを叩き割ろうとする事もあるから、気軽な気持ちで車に乗せられない。

スーパーに買い物に行けば、野菜売り場で見知らぬマダムを引っ叩いてしまうかもしれない。惣菜売り場やドリンク売り場では未会計の商品をお構いなしに開けて飲み食いしてしまうかもしれない。

自宅で、気を抜いて昼寝でもしようものなら、起きた時にはテレビのモニターが粉々になっているかもしれない。ストーブで指を焼いてしまったり、洗濯物を口に入れて窒息している可能性もある。ベランダを勝手に開けて落下してしまう可能性だってある。

もうどこもかしこも危険だらけ。可能性の話だが、どれもやりかねないから、常に気を張っていなければいけない。

自宅でスマホ片手にごろりと一服。気を抜いてゆっくりダラダラするなんて、夢のまた夢。殆ど不可能な生活になると思う。そういう生活が何十年と続いていくのだ。正直に自分は耐えられないと思う。

それらをやってきた親御さんは本当にすごいと思う。心の底から尊敬します。

家庭で見るという事

強度行動障がいや重度知的障がいの方々の対応難易度という意味では、僕が以前働いていた様な施設はまだマシな環境だったと思う。それは施設は環境設備がある程度整った箱であり、その箱が土俵の為、職員の気力体力は消耗するが、まだやりようはある。戦えるのだ。

例えば窓ガラスが強化ガラスで全力で叩いても割れない。あらゆる扉に施錠が可能。玄関などの扉は基本オートロク。窓などは身体が通る様な隙間以上に開かない。その他にも、誤飲を防ぐために余計なものを一切置かない、排便用に大量にタオルが常備されているなど。

強度行動障がいを持つ方の専用施設ではなかったものの、ある程度対応出来る様に環境整備されていた。

しかし、これ自宅でやるとなったら話は全然別である。賃貸物件に住んでいたとしたら、四六時中続く奇声や歯軋り音、壁パンチや壁キックも日常茶飯事。ガラスも飛散し、壁には穴が開く。壁紙もどんどん剥がされてしまうだろう。

隣人や大家さんから高確率で苦情がくるだろう。退去を迫られる事だって当然あると思う。そんな日々が続けば、段々と自分に罪悪感の様な後ろめたい感情も溜まってくるだろう。そうして心身ともに疲れ、限界が近づいてきた親御さんが考えるのが、家庭から施設への移行だ。

「もう家庭での対応は限界だ。どんどん歳を取っていく心身が衰えていく自分が、この子を止めるのは無理だ。専用の施設で暮らしてもらいたい」

障がいの程度が重度であればあるほど、この思考に行き着くのは至極真っ当な話だと思う。そしてそれは正しい事だと思う。しかし残念ながら、ここから先もなかなか簡単にはいかない。

さらに悲しい話が待っているのが現状である。

入所施設に入りたいと望んでも、簡単には入れないという現実

皆さんは、全国に重度の障がい者の暮らす入所施設がどれくらいあるか知っていますか?

僕は知りません。ただ施設で働いていた時の実感と先輩達の実体験などで話すと、障がい者の暮らす施設は満室がとても多く、空き部屋が容易にないという現状がある。

僕の働いていた施設基本的には満室の事が殆どで、1部屋空きが出来ると、100人以上の応募があった。

先輩曰く、毎回それくらい、もしくはそれ以上の応募があるとの事。その為、詳しい内容は末端職員の僕には知るところではありませんが、応募された方々は必ずなんらかのふるいにかけられていた。

この「応募の倍率が高い事」はアクセスの良い、関東圏などになるとより顕著であるようだった。まぁ考えたら当たり前の話。普通に賃貸不動産を借りるのだって、アクセスの良く利便性の高い場所の方が競争率は高いし、家賃だって高いのだ。

しかし、どういう訳か、施設に入れようとする人はここの思考が抜けている人が多かった印象がある。「望めば希望の施設に入れる」そういう意識で居る人が多く、ろくな下調べや準備もしていないため、施設が決まらず何年も困っているみたいな人をよく見かけた。

これは、長いこと障がい分野に関わっている人、例えば小学校から息子さんを支援学校に入れていた家庭でも知らない人がチラホラおり、施設入所の倍率ってあまり世の中に出回っていない話なのかもしれないと思ったりした。

【住む場所を探して決める】【受け入れ先を決める】というのが、最初のそして最大の難関である。

さらに入所先が難航する理由には、満室で空き部屋があまりない事以外にも、理由がいくつかある。

住む場所を見つける事が難しい、その他の理由も順番に見ていこうと思う。

重度障がいに対応出来る施設の数が少ない

満室が多い事と重複するが、そもそもの話、重度の障がいを持つ人を支援する施設の数が全国的に圧倒的に少ない。だから当然数が足りない。グループホームなどの地域に根差した暮らしを推奨する施設などは近年多く建設されている。グループホームは素晴らしいと思うし、程度の軽い精神疾患を患う人は問題なく暮らせる人もいると思う。しかし、ここで話しているのは重度の精神疾患を患う方々のための施設。

そういった方々が入居するには、個人的にはグループホームでは全然役不足だと思っている。生活介護の入所施設が最低限。強度行動障がいに深い理解があり、その上で専門の支援をしている施設だと望ましい。しかしこれらの施設は求める声は多いが数は少ない。需要と供給があっていないのだ。

じゃあもっと建設しろよ!障がいを持つ人が安心して暮らせる場所を!」という声が聞こえてきそうではあるが、これを口で言うのは簡単だが、実際にはそんな単純な話ではない。どうか立ち止まって想像してほしい。

もし皆さんの住む、自宅の真ん前に重度障がいを持つ利用者が何十人と暮らす施設をこれから新設します。となった場合、「大賛成!障がいを持っている人たちが快適に暮らせる為に建設してあげて🎵」と本心から、声高に言えるだろうか??

重度の障がいを持つ施設では、大事にならなかったものを含めればトラブルは日常茶飯事であった。

例えば利用者が、職員の制止を振り切って走り出しちゃう。一瞬の隙をついて、走り出し、付近の幼稚園に子供を迎えに来ていた保護者を叩いてしまった。

またスーパーに勝手に入ってしまい、惣菜を食べあさってしまった。なんてのも僕が入職前にはあったと聞いた。

何が言いたいのかというと、施設付近では近隣住民もトラブルに巻き込まれる可能性が高まる。

自宅の隣に施設が建設されると、トラブルになる可能性が高まってしまう。そのため施設の新設が歓迎される事は、殆どないと思われる。なんなら反対運動が起きる可能性すらある。

もし自宅に、小さな子供が暮らしていた場合、高齢の実母などが穏やかに暮らしていた場合はどうだろう?近所に暮らしていた場合、トラブルに巻き込まれる可能性は少なからずあがってしまう。

また仮に建物の横に住んでいた場合、防音ガラスとは言え、利用者の奇声や大声が年がら年中聞こえてくる事などはまず避けられない。

誰だって我が身は可愛いのだ。自分や自分の身近な人が不快に感じたりする事態はできるだけ避けたいと思うし、敬遠してしまうのは綺麗事抜きに皆あるだろうと思う。

したがって重度の精神疾患を持つ利用者の生活を介護する様な施設は、少し人里離れた場所に建設される事が多いし、新設はなかなかに厳しい道のりになる。

首都圏で施設が新設される事は土地面積などの問題と相まって可能性としてはなかなか低い。もし新たなに新設されたとしたら、その母体である法人が、長年地域の住民と友好的な関係を作り、一定の理解を得られている可能性が高い。

施設が受け入れてくれない可能性と、その事情

大前提、現場の職員も怪我をしたくない。綺麗事抜きに、福祉に強烈な情熱を持っている人ばかりではないのだ。

できれば定時で帰りたい。自分の担当の仕事を済ませて、残業せずに帰りたい。そう思っている職員だって普通にいる。僕もどちらかと言えばそっちのタイプだと思う。これは別に悪い事ではないと思う。

普通の会社で同僚や上司から暴力を振るわれたら大問題になるだろう。だが障がい者支援の施設では、時に大怪我をする可能性があるが、業務特性上、しょうがないで済まされている。そこに対して満足のいく保証も殆どない。

その為、利用者対応の中であまりに怪我が多かったり、大きな怪我をする職場だと、職員が自身の安全の為に離職を考えてしまう事が多い。若い職員であれば、怪我ばかりする我が子を心配し、親が子供に親心として離職を進めるなんて事もある。

まぁ当然と言えば当然。仕事だからと言って殴られて怪我をする。それを良しとする親はそう多くないだろう。

職員の離職に歯止めがかからず、現場職員が少なくなると、現場の運営がそもそも難しくなる。となると、施設長や人事担当者の思考として、「あまりに重度で職員負担が大きい利用者は、利用をお断りしよう。でないと離職者が増えて運営が難しくなる」と必然的に敬遠されてしまう。

勿論、「なんとか助けてほしいので、預け先を探している」というご家族の気持ちは痛いほど分かる。しかし助けることを優先するあまり、自分たちが潰れてしまう様では話にならない。

施設は元々困っている人を助けたいと思い作られているが、そこで働く人がいなくなれば、無い袖はふれないという事になってしまう。悲しいが、こういう現実は実際にある。

空室がなかなか出来ない。

運良く近場に良さそうな施設を見つけた。あそこの入所施設を利用したい。だが、満室で空きがない。こういった場合、空室はいつ出来るのだろうか?をこれを少し考えてみたい。

結論から言ってしまうと、障がい者施設では、空室があまり出来ないのだ。何故だろう?

理由はシンプルで、【利用者が亡くなりずらく、移動もあまりない。】という事。

利用者が亡くならない。というのは本当そのままの意味で、障がい者の施設は児童は18歳まで、成人の施設は18歳以降の人が入所すると区分けがされている。

精神疾患を患っている彼らは、精神にこそ歪みや遅れが見られるものの、身体は元気そのものでピンピンしている場合が多い。

同じ福祉業界の老人ホームなど、ご年配の方々が暮らす施設では、ホームが終の住処となり、お亡くなりになっていく場合も多くあると思う。お亡くなりになった場合、当然部屋は空き部屋になり、その部屋は、また少し経ったら別の利用者が使う事になるだろう。

ところが肉体的にピンピンしている方が多い、障がい者の入所施設ではこういう事が殆ど起きない。そしてもし入所する事が出来ると、今度はその後に安易な理由で移動する事もない。

これは入所施設の数の少なさや、それに伴っての入所確率の低さを考えたら当然だろう。退所したらもう次の施設が見つからないかもしれないと思うと、簡単に移動などは出来ない。だから空室になりずらいという訳だ。

親自身の気持ちと覚悟の問題

施設職員として働いていた際、入所を希望するご家族と接していて思ったのが、親として、そもそも子供を施設に入れても良いのか?という気持ちの葛藤があるという事だった。

対応がとても困難であり、しょっちゅう怪我をしている親御さん。本当にしんどい。このままだと自分が参ってしまう。そう思いつつもそれでも我が子には愛情がない訳ではない。

全くの他人だとここに関して、なんで?と思ったりもするのだが、その矛盾が親心なのだろう。好きな恋人を憎んだり、絶縁した家族に対して心の奥に愛情が残っていたり、人間はいつだって愛憎を片方だけもったりは出来ない。片っ方だけの感情だけを所持する様には出来ていないと思うのだ。

生まれたばかり無力で純粋な、乳飲子の時代をしっており、その頃抱いた暖かな感情を覚えていたりする。一生守ると心に誓いを立てた親御さんも多いだろう。

長い歴史の中で、それらの記憶は遠い彼方に追いやられてしまったかもしれない。だが現在大変だからといって無くなった訳ではない。

今の地点から、長い長い時間を遡れば、楽しい思い出もあったり、笑顔の瞬間だって見てきているはずだ。

この矛盾は他人には理解されにくいが、本人の一歩を遅らせる。

親の心境的に、施設には入れた方がいいけど、出来るなら自分で見てあげたい。と思ったり、もしくは施設に子供を入れるという事で、他者から育児放棄に見られるかもと心配している方などもいた。。

各々色々な理由があったが、問題は親御さんの心の葛藤によって、施設への入所をとりやめてしまう事があり、それは個人的には勿体無いと思うのだ。

施設入所のチャンスはそう多くない。親自身の葛藤があっても、その葛藤に決着がついた時に、施設の空き部屋がなかったら、もうそれは入所できない。仮予約みたいな事は出来ないのだ。

施設での虐待をテーマに記事を書きながら、施設入所を勧める様な内容になってしまったが、今回の冒頭で書いた、家庭での対応苦慮からの、殺人に比べれば、施設での暮らしの方が、双方にとって断然メリットがあると思うのだ。

なかなかに険しい道かと思うが、現在施設での入所を考えている方がいらっしゃったら、虐待の芽がないかチャックしながら、前向きに検討していただきたいと思う。

次回は、虐待を花が咲かない様に利用者ができる事。また入所の確率を上げる為にできる事。

そんな事をテーマに記事を書きたいと思う。

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