かなり長くなり、色々と情報が多くなりましたね。
前回の記事で、重度の精神疾患を患う利用者を支援する中で、日常的にヘイトが溜まる事をお伝えしました。
今回は、ヘイトが溜まることによって起きる、【虐待の芽が花開いてしまう状況】について、僕なりに実体験と推測を交えて語りたいと思います。
憎しみが溜まる事によって起きる行動。
重度障がいを持つ利用者を多く抱える施設職員は、業務の中で日常的にヘイトが溜まる。
これはもう人間として正常な反応であり、避けられないものだと思う事は前の記事で述べたとおりです。
ただ、【利用者に抱いてしまったヘイトに、どう向き合うか?】【憎しみや怒りの感情をどう処理するのか??】この辺りは、個人によってある程度、選択する事が出来る。
とはいえ、明確なやり方や解決方法はないし、研修などでも教えられる事は殆どない。
そもそもの話、利用者にヘイトを抱く事、それ自体がNGであると言われてしまいかねない。そんな空気感が福祉業界にはある気がしてならない。だが僕は声を大にして言いたい。
そりゃ無理だ。痛いし怖いし、臭いときも汚いときもある。そりゃ腹も立つし、怒りも湧く。ここから目を背けては、解決も対応策を講じる事は出来ない。
腹が立ったり憎しみを抱く時もある。それは認めよう。それを前提で話したい。
上記の感情を抱く事がある。その前提で、そのネガティブ感情とどう向き合って折り合いをつけていくか?それこそが超重要だと思うのだ。ここはかなり個人差が出てくる話になってくると思う。
他者に酷い扱いを受けた時、人によっては「やられたらやり返したい」「反撃したい」という復讐心みたいなものに取り憑かれてしまう人もいる様に思う。
これは一般社会においても多くおり、異論がある人はいないだろう。
僕が以前働いていた施設にも、問題行動が頻発する利用者に対して小言が多くなったり、関わるたびに冷徹に語気強く対応してしまう職員もいた。
僕自身も汚物対応の際、「〇〇さぁん!!ちゃんとトイレでしてくださああぁいいよお!!う○ちここでしちゃダメっつってんでしょーー!!」と語気強めに対応した事は正直何度もあった。
殴られ、蹴られ、噛み付かれ、汚物処理をし、ヘイトが溜まるが、反撃するは勿論、罵る事も許されない。施設ではいつだって、利用者の権利は守られるが、職員は守られない。公平ではないのだ。
利用者は優遇、支援者は冷遇。残念ながら、それが重度障がいを持つ人を支援する施設の世界観だと思うのだ。
(最も、利用者はその分、日常生活では自由があまりない世界で暮らしているし、出来る事も限られている為、不自由さという点で言えば、職員より圧倒的に不自由であるのだが。)
重度障がいを支援する事を生業にするなら、この現実は切り離せない。宿命と言っても良いと思う。
そして業界は全体的にそれが当たり前なところが多い為、利用者へのヘイトを我慢したり、消化のために努力しても、基本的に同僚や上司に褒められたり、そこを評価される事もあまりない。
暴力に耐えるのが当たり前だから。う○ちを片付けるのが当たり前だから。
そして薄給すらも当たり前で、昇給の見込みも殆どない。僕が以前働いていた施設では、社会福祉士や精神保健福祉士などの国家資格をとっても、月給が3000円増えるだけだった。大学や専門機関に行き、授業料を数十万以上かけて、数年間努力してとった資格があってもそんなものしか給料増えないの!?とびっくりした思いがあった。
こうやって改めて列挙すると、やっぱりすごい世界だなと思う。
職場に蔓延する価値観が虐待の発生の分かれ道。虐待を助長する価値観とは?
上記の様な状況が当たり前の様にある世界。重度障がい者を支援する施設は、程度の差はあってもこういう状態がある。
ここまででも、個人としてはなかなかに辛く、人によっては利用者に手を出してしまうかもしれないが、最初のニュースの様に虐待が長期間行われていたという環境では、絶対的に足りないものがある。
それが職場全体に蔓延する、虐待を推奨する空気である。
抽象的な表現で申し訳ないが、【ストップをかけない空気】虐待にはこれが絶対に必要だと思う。多分いじめなんかも同じだと思う。
僕が以前いた入所施設では、幸運な事に虐待らしい虐待は多分なかった。(と思う)
絶対とは言えないが、僕が把握している限り、最初のニュースの様な継続した虐待はおそらく無かった。全てを見たわけではないから、勿論断言は出来ないが、多分なかったと思う。なぜ??
虐待を長期間にわたっておこなってしまったニュースの施設と何が違ったのかと言えば、やはり職員の質や性格、そして上層部から降りてくる価値観とそれを受け入れる現場の裁量によって生まれる【現場の空気】であろうと思う。
詳しく説明する。
現場に漂う空気って?
僕が以前働いていた施設は幸運な事にとても優しい同僚が多かった。利用者は大変な人が多かったが、その分同僚は優しい人が多く、職員同士のいざこざは殆ど聞かず、職員室では和気藹々と冗談や雑談が飛び交いながらも仕事はしっかりとするという感じ。
利用者に対してたまったヘイトを雑談などで話し、ブラックジョークの様にして吐き出し、うまいこと毒抜きをしている人も多く、職場の仲間を大切にしつつ、チームワークで業務に当たろうとしている人が多かった。
「人間出来てるな〜」みたいに感じる人が多く、職場の人間関係だけを見れば、僕にとっては割と理想に近い職場環境であった。
ここで一つ、突然ですが、僕が体験した昔話をさせてもらいます。
ある日、強度行動障がいを持つ利用者が多く住むユニットで、僕が利用者のお昼ご飯の準備をしていました。
僕が働いていた施設には厨房が別の場所にあり、そこで厨房専用の職員が利用者と職員の食事を全員分作って、ユニットまで運んできてくれる流れであった。
その為我々支援スタッフは、運ばれてきたお米を利用者の茶碗などに分け、お箸などを用意し、おかずを食べやすい様に細かく刻んだりして、それを配膳していた。
ユニットの台所扉を開放して配膳作業をしていると、利用者が台所に勝手に入って好き勝手食事を貪ってしまう為、僕が食事の準備をし、別の職員が利用者が台所に入らない様に見張っていた。まぁいつもの光景であり、何の問題もない。
「このまま利用者に食事を提供した後は〜自分もお昼休憩をとって〜。」などとその日の流れを考えながら配膳作業をすすめていたら、突然自分の左耳後ろにガツンと激痛が走ったのだ。
意味がわからず、左耳付近を抑えると、生暖かいぬるりとした感触がする。
抑えた左手の指を見ると、血がどろり。あたりを見渡すと、強度行動障がいを持つ利用者Aさんが、食事を待ちきれなかったのか、台所の外から自身のプラスチックのマグカップを台所に向かって力の限り投げいれたようで、床にAさんのマグカップが転がっていた。
投げても割れにくい様に100均で購入した安物のプラスチックのコップだが、それが食事の準備をして無防備だった僕の耳の裏に直撃したのだった。
たまたま皮膚が薄く骨に近い部分に直撃した為、肉がきれてそこそこの出血をした。
別にAさんが意図的に僕を傷つけようとした訳では無いのは分かる。コップは日常でよく投げており、頻繁に注意をしていた。
腹が減った→イライラした→だから投げた。本当そんな感じだと思う。
今回はたまたまそれが直撃してしまった。運が悪かった。それは分かっている。しかし「頭に血が上る」とはああいう事だろう。
激痛と出血によって、ブチブチっときた僕は、アドレナリン全開で台所から出て、Aさんに近づき胸ぐらを掴みかかりそうになっていた。これ、ほぼオート。意識して自分の意思でいったというより、怒りと痛みで、殆どオートで向かっていったと思う。
「Aさあぁん!!コップって投げていいんですあぁ!!?なにやってんですかあぁーー!?」
と口調こそは敬語を使っていたが、語気は強めで全くAさんに対して優しさを込めた言い方でなかったのは間違いないと思う。この時の自分の心境を思い返すと、「コップを投げてきたコイツが悪い!こちらは被害者だ。相手は加害者なのだから厳しく対応するのは当然だ!」そんな大義名分がハッキリとあり、それが自身の行動を突き動かしていたように思う。
すると同僚の職員がそれを止めてくれた。そして怒れる僕に理解を示しつつ、対応を代わり、できるだけ穏やかに利用者に問題行動を指摘して、良識のある叱り方をしてくれた。
実際、これでAさんのその後の問題行動が変わる訳ではないのだけど、怒りに震える僕はこの時、冷静に行動する自信がなかったし、対応をかわってくれた事で、行動を止め冷静になるきっかけにもなった。ありがたかった。
正直、その同僚も利用者にしんどい思いをさせられてヘイトは溜まっていただろうに、それでも虐待行為になり得る僕の行動を止め、なおかつ僕に同情と理解を示していた。
僕が以前働いていた場所には幸運な事に、こういう事をナチュラルに出来る人が多かった。
これはその同僚の人格が優れていて人間的に優しくて素晴らしい。という部分も勿論あるとは思うのだが、他にも理由はあると思っている。それが環境の中に存在する価値観である。
現場に漂う価値観
僕の勤務していた施設ではこの「虐待をしてはいけない」「利用者を第一に考える」という価値観が完璧とは言わないまでも、割と根付いていたと思う。
もちろん現場の状況で理想通りにはいかない事も多々あるが、行動の基本方針として皆上記の価値観に基づいた行動をしていた。少なくとも基づいて行動しようとしていた、そんな根っこが優しく真面目な職員が多かった印象だ。
事実として利用者に腹が立つ事はある。「このやろう!」と憤る事もあったが、それでも同僚や上司もこういった価値観に基づいて行動していた。
自分のその職場の一員として勤務し、職場の同僚たちの事も「あの苦境を体験しているのに、利用者に礼節をもって接しているの凄いな〜。」と尊敬の念を抱いていたし、人柄も好感を持てる人が多かった。
そうなると、僕自身もその環境の価値観にある程度染まっていたと思うし、好感を抱いている同僚達の輪から外れるのは嫌な為、同僚達の多くが抱いている価値観に寄せた行動を取ろうとする。それは僕個人の虐待防止に対し、大きく貢献していたと思われる。
シンプルに言うと、職場で仲の良い同僚が虐待をしないように頑張っている。だから自分もしないし、やらない様に頑張る。そういう気持ちを自然に持てていたと思うのだ。
そういう個人が多い事で、集団の抱く価値観が自然と「虐待しない」になっていた。そんな感じがする。
もしこの環境に根付く価値観が虐待を防止したり、利用者を利益を考えてという価値観ではなく、職員の利益を最優先、やられたらやり返す、嘲笑する、見下す、そんな様な価値観であった場合、どうなっていたかは分からない。
虐待を推奨する価値観とは?
職場に漂う価値観は、全体の思考と行動に影響する。だから職場に根付く価値観が「虐待をしない」であれば、虐待行動が発生する可能性が低下する。
ところが、職場に漂う価値観がもし、職員の利益を最優先、やられたらやり返す、嘲笑する、見下す、そんな様な価値観であった場合はどうだろうか??
僕は、実はこの施設を退職した後、詳しくは言えないのだが、少しの間別の福祉の仕事についていた時期がある。実はそこが、まさに虐待を推奨する価値観が蔓延する職場であったと思う。最初かなりビックリした。
具体的には、職員の悪口、利用者の悪口、他者を嘲笑しコミュニケーションを取る、他者への見下しが横行していた。それらを見ない日はなかったと言って良い。
それによって職員も他罰的な発言をする人も多く、とても人間関係がギスギスしており、見張られているような、ミスが出来ない、ミスをしたら責められる。そんな空気を蔓延していたように思う。
まぁこれは、そこそこよく聞く話かと思う。
しかし、ここが違ったのは、それを施設長自らがおこなっていたという点。施設長の器以上に業務が忙しく、余裕がなかったからというのはあるだろうが、毎日の様に顔をあからめて、感情的に罵詈雑言を吐いていたし、自身の意に沿わない職員をDVの様に言葉汚く罵倒する場面も見られた。
キーマンが作るコミュニティールール
ある日、粗暴行為を日常的におこなってしまう利用者A君が、他児を叩いてしまった。すると職員のBさんが「A!なにやってんだよ!」とA君の頭をスパーン!と引っ叩いた。
BさんがA君の頭を平手でバーン!と叩く場面を僕は間近で見てしまった。ビックリしたが、こういう事が割と日常的にある環境であった。僕は後日それを施設長に相談した。
しかし、施設長はBさん本人には軽く注意した様だが、厳しく取り締まりもしなければ、本部には伝えずに隠蔽しようとした。(本部は虐待は絶対ダメと明文化したルールがある。)
本来監督し、部下の問題行動を修正していく立場の人が自ら、それを助長する行為をして、問題が発生してもそれを隠してしまった。(多分自分の監督責任や評価などを気にしたんだと思う)
部下達は、働く際にその職場では「どこまでやっていいんだろうか?」とルールやラインを考える。これをコミュニティールールと定義したいと思う。このコミュニティールールは、社内ルールや校則など、その組織に掲げられている全体的なルールより重い。
人は、コミュニティー内のルールを無意識に考え、それを肌で感じる。実際にキーマンに確認する人もいるかもしれない。コミュニティールールは当事者としては、社内ルールや校則などより身近にある為、その影響力はとても強い。
そしてそのコミュニティールールを作っているのは、その場の中心人物。ここで言えば施設長である。
学校のいじめとかでも、担任の言うことや、校則なんてそっちのけで、実際はクラスの中心人物がルールになっていたりする。
そして「クラスの中心的な人物が何を好むのか?」を考えて取り巻き連中が行動する。みたいな事があると思う。それと同じである。
コミュニティールールによって、虐待が許容されるとはどういう事か?
キーマン(この場合、施設長)が歪んだ思想や価値観をもっていた。するとそれに基づいた歪んだコミュニティールールが形成されてしまう。このコミュニティールールは明文化されないが、明らかに存在する。
その為、部下達は虐待行動がコミュニティールール的に悪い事だとなっていないと、ここにストップがかからない状態になってしまう。
利用者を叩いたBさんは言っていた。「利用者のAが他児を叩いた。だからAが悪い。」と。
しかし、本当にそうだろうか?他児を叩いたA君の行動は確かに良くはない。ただそれを許してしまったのは、油断していたBさん本人である可能性もある。また叩いたA君に、叩くのがダメ!と叩いて理解させようとしても、「悪いことしたら叩いて良いんだ。」という思考が強化されて、さらにB君の粗暴をエスカレートしてしまう可能性もある。
つまり、「他児を叩いた利用者が悪い奴。そんな悪い奴は叩いてもいい。」「叩いて良いとは言わないが、叩くのも仕方ない。」「目立たない様にやってくれ。」「俺の見えないところでやってくれ。」そういうコミュニティールールが形成されていた可能性が非常に高い。
だから、BさんはA君を叩いた。
もしこれ、施設長が日頃から「いかなる理由があっても叩くのは絶対にダメです。」「もし叩いてしまったら厳しく罰する事になります。」と口酸っぱく言っており、そういうコミュニティールールになっていたら、多分Bさんも叩かなかったのではないかと思うのです。
一旦まとめます。
①そのコミュニティーのキーマンが生み出す価値観&ルールをコミュニティールールと定義する。
②そのコミュニティーに所属する人は、社内ルールや校則などより、一番身近なコミュニティールールに準じて行動する可能性が高い。コミュニティールールを守り、ルール内で活動する。
③その為キーマンが形成したコミュニティールールが、虐待を許容するなど、既に歪んでいたら、部下の虐待をストップするのは非常に困難。
という事になってしまう。
これは、これから施設を利用しようとする人は本当に気をつけてほしい。責任者と面談をしてみて、「なんかこの人うさんくせ〜な〜。」「なんか油断ならないな」と感じたら、注意深くみてほしい。
なんなら、「部下が利用者を叩いてしまったら、〇〇さんはどう対応されているんですか?」と質問したって良いかもしれない。しっかりと虐待に対して考えて、対策を立てている施設であれば、そこをぼやかすという事はないと思う。
ちなみに、この施設長は、ぼやかそうとしたり、話をすり替えたり、なんならなかなか目を合わせなかった。怪しいと思ったら、ぜひ突っ込んで質問して相手の反応を伺ってほしい。それが有事の際の行動に違いを生むと思うのだ。
長くなりましたが、コミュニティールールによって虐待が許容される。
長期間虐待が行われていたという事は、冒頭の施設では、施設長や現場の責任者が既に…
「叩いて解らせるのもやむなし」
「言っても解らないから、叩いて解らせるのも仕方ない」
「腹がたって仕方ないから、バカにしたりネタにしたり、嘲笑するのもあり」
そんな風に価値観が歪んでしまっていた可能性が高いと思われる。
これを変える事は容易な事ではない。次回は歪んだコミュニティールールが蔓延する環境。そんな中で一体何が出来るのか??を体験と考察を交えて書いていきたいと思います。
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