精神障がい者支援施設で起きる虐待について、支援者の目線から考える③ 【虐待の芽はこうして生まれる】

前回、前々回と長く書いてしまったが、粗暴と汚物の記事を読んで、「その仕事、是非やりたいです!」と笑顔で前向きな返事が出来る人って一体何人いるのだろうか?

もしも興味がある方は、是非求人サイトので応募していただきたい。では本日の記事は虐待の芽が出来るまでを、僕なりに語ってみたいと思います。

現場の余裕のなさから来る離職率

僕が勤めていた5年で、障がい者支援施設の生活支援職員は、かなりの人数が退職していった記憶がある。僕自身も他に家庭の事情など別の理由もあったが、最終的には退職している。

その際上記の様な粗暴や汚物へのストレス、心身ともに受けるリスクが退職の後押しの一因になっていたのは間違いない。

福祉業界全体に言える事だと思うが、とにかく入職者が少なく、現場には常に人が足りない。人が足りないという事は、つまり粗暴系、汚物系のトラブルを全て自分1人で対応する可能性もあるという事を意味する。

特に僕が働いていた施設は、夜勤中1人で業務をおこなう日がほとんどの為、夜中に起きるトラブルは、孤独の中自分1人で対応するしか殆ど選択肢がなかった。

そしてその責任は自分にのしかかってくる場合が多い。(ここは施設長の裁量が問われる)

新しい職員がなかなか入職しない+退職者も多い為、戦力になる頼りがいのある職員も育ちづらい。現場の人員的余裕はない場合が多く、それに伴って職員個人にかかる作業負担や責任も増大する。

そうなると気持ちの余裕は減少し、また将来的にそれが解消される望みも薄いという絶望的な状態になる訳である。これで余裕をもって穏やかに仕事しろ。という方が難しいと思うのだ。

福祉現場をはじめ、生活の多くの場で求められる【他人の気持ちを理解して、優しく接する】という事。これは、自身に余裕がないときには不可能な行為である。

目の前で苦しそうに倒れている人がいた。しかしその時、自分も大怪我をしており、心身に余裕は全くなかった。自分に全然余裕がないという状況下、これでは他人に優しくなんぞ出来るわけがないのだ。

やりかえしたくなる心理、憎しみの連鎖と、職員への理解とケアの少なさ。

前述の様に重度の知的障がいや強度行動障がいをもつ利用者を複数人抱えた施設では、仕事中常に気を張っている事も多い。汚物系の問題行動は、見ていて嫌悪感を抱く事があるし、長時間の掃除で辟易とする場合もあるが、ただこちらはある意味作業なのである。

慣れてしまえば淡々と掃除さえすれば完結する為、精神的にはあまり尾を引かない部分もある。(前述の様に夜中、コンディションの悪い時に汚物に囲まれていると、徐々に気が滅入る場合もあるが)

しかし利用者の粗暴系の問題行動に関してはそう簡単に割り切る事が出来ない事も多い。

利用者に叩かれ蹴られた職員、噛み付かれた職員、取っ組み合って押し倒された職員、大きな怪我をおわされた職員…

「利用者の障がいゆえの行動だから仕方ない。わざとじゃない。それが障がいなんです。彼らだってやりたくてやっている訳ではない。」

分かっている。勿論分かっているんです。でもそれでも職員だって人間。自分に対して痛みを与えてきた対象へはそりゃヘイトが溜まるのは必然。

2〜3回とかなら受け流せても顔を合わすたびに自分に粗暴をむけてこられる場合もある為、「いい加減にしてくれ」という気も湧いてくる。

利用者へのヘイトが生まれる。個人差はあるが、これはもう人間ならば仕方ない反応だと思うんです。だって痛いし怖いんだもん。そりゃむかつくし腹も立つってもんです。

交通事故とかだって、意図せず起きる。加害者がわざと事故を起こした訳でないのは、皆わかっているが、それでも事故に巻き込まれた被害者の方の気持ちは、すぐに割り切れるものじゃない。

加害者に対して…「わざとじゃないのか。じゃあ仕方ないね♪いいよいいよ。」と納得して気持ちをすんなりと切り替えられる訳はない。

「わざとじゃないなら、何をやってもいいのか!?」だったり、「わざとじゃないとしても他者を傷つけたなら相応の謝罪や賠償はあるべきだろ。ふざけるな!」みたいな。そんな風に加害者に対しての憤りや憎しみの感情が少なからず湧く人も多いと思う。

職員は裁かれるが、利用者は裁かれないという世界。

一般的には、2人の人間の間で何かトラブルになって、刑事事件になった時には裁判になって、お互いの言い分を聞いてもらい専門家に判断を委ねる訳だよね。(勿論司法の世界も平等とは言えないとは思うが。)

穴も多くあるだろうし、完璧ではないだろうが、そこには一応の平等を保つ社会システムがある。これによって被害者側にも言い分を聞いてもらう機会があるし、それが認められれば被害者への救済に繋がったりもする。

被害者としても、感情的にはまだ納得いっていない部分もあるかもだが、社会システムにより相手からの謝罪もあった。なかったとしても、自分が正しい事が公に証明された。

これはいくらか溜飲が下がるだろうし、気持ちも一区切りしやすいと思う。ところが、ここに障害が絡んでくる事で話がややこしい事になる。

刑事責任能力がない為不起訴。この言葉は法律に詳しくない僕でも聞いた事がある。

おそらく重度の知的障害や、強度行動障害をもつ方々は、この「責任能力が問えない為、罪にならない。」というものに、殆どの人が該当するはずだ。

善悪の判断が出来ない。だから罪に問えない。ひらたく言ってしまえば、重度障がいをもつ利用者は、職員を殴っても裁かれない。そこにデメリットが発生しない。

一般的に、殴られた被害者からすれば、「加害者に一泡ふかせてやりたい」みたいな気持ちや、「被害を保証してほしい」みたいな気持ちが湧くのも理解出来る。

やり返しが出来ないならば司法の力で公平に捌いてほしい。最低限、自分の痛かった気持ちを理解し汲んでほしい。みたいな気持ちが湧いても全く不思議はないと思うのだ。事実それで社会のルールは構成され回っている。

ところが、重度の障害者に対しては、これらを殆どの場合望めない。

殴られて蹴られて噛みつかれて怪我をしても、責任能力のない重度障害者には、法的に反撃する事は殆ど場合出来ないし、怪我をしたら労災にはなるが、特に相手方から保証や謝罪といったものはないのだ。

殴られた自分は被害者、殴った利用者が加害者。加害者は裁かれるべき。これが一般社会で広く普及している社会通念だろう。

しかし障がい者故に責任を問えず、裁かれる事も被害者への保証もない。痛い思いをしたのに、そんなの許せない、ズルい。不平等だ。

そういう感覚が働いているうちにどんどん溜まってくる。こういう不公平と不条理は、施設で働く上では避けて通れない問題だと思う。

これが溜まり日々の鬱憤として、職場で吐露する事が日常になっていたら、もう利用者へのヘイト増大は待ったなしだろう。

障がい分野特有のもの

この「自分は被害者なのに加害者のアイツは裁かれない。やられ損。そんなのズルい。殴ってきた相手が悪いのに!!」という感覚は、障がい分野特有の感覚だろうと思う。

利用者から粗暴を受けた時、基本的に取れる手段は耐えるか、かわすの二択になる事が殆どだと思う。

それらが叶わず粗暴に対面した時、その後の対応についても、報われない気持ちでモヤモヤする。

そのモヤモヤを発散させようとこちらも力で反撃すれば虐待となる。また嘲笑からの軽蔑や蔑んだ行為などをすれば、これもまた虐待となる。

怪我をしてしまう仕事は他でもあるが、この仕事は正当防衛が成立しない。何かあったら、職員側に責任と問題が問われ、利用者がそれを問われる事はない(問われても能力が無い為、何も解決しない。)

しかも、防衛の為にマンパワーを行使し、加減をあやまり利用者が怪我すれば、悪いのはこちらになる。

怪我までいかなくても、過剰防衛にとられてしまう事もある。当然労いの言葉などは殆どない。

言い方悪いが、殴られ放題。汚され放題。反撃はおろか、公平平等すらも望むのは難しい。

その為、支援員の消化されないヘイトは行き場を失い、肥大化し徐々に憎しみに変わる。そしてそれが虐待の芽に変わっていく。そういう可能性は大いにあると思うのだ。

まとめ

長くなった為、一度まとめさせていただきます。

重度障がい者支援施設では…

①粗暴&汚物対応が日常的にある為、職員にヘイトがたまりやすい。

②業務内容が、まぁまぁキツい為、離職者が多く、入職者が少なく、なかなかまともな戦力が育たない。在職者は余裕のない業務になってしまう場合が多い。

③利用者に刑事責任を問えない為、職員は怪我をしても、理不尽な事をされても、その訴えが通る事はほぼ無い為、更にヘイトが溜まり、消化されないヘイトが虐待の芽として育ってしまう。

以上である。次回は虐待の目が花開く時。について推測を交えてではあるが、考えていきたいと思う。

コメント

  1. チッタ より:

    何て言うか、どんな心持ちで向き合うのが正しい?正解?良い?職業なのだろうと思った。
    仮に「自分は暴行を受けようが構いません。汚物処理もなんのその。みんな可愛い大好き。」という仏の様なマッチョがいたとして。
    だけど、粗暴行為が他の利用者や施設外の人間に向いてしまった場合は止めなきゃいけない。
    マッチョなら、その利用者を怪我させずに止められるかも知れない。
    だけど、その相手まで逆上してしまったら?
    興奮したふたりの人間を怪我させずに止めるのはマッチョでも難しいと思う。
    そんな仏マッチョでも難しい事例が日常な仕事。
    況してや、ほとんどの人間はそんな仏マッチョではない。
    仏マッチョでも難しい仕事を人員不足、責任、ヘイトが溜まり易い環境(システム)の中で挑むには、どんな心持ちが必要なのだろう?
    「じゃあ、そんな仕事選ばなきゃ良い。」って声もあるかと思う。
    だけど、今の社会では必要な仕事だと思う。
    いい加減、蓋を外して、本腰で考えなきゃいかん問題だと思う。

    • shimoken より:

      ね。とても難しい問題だよね。
      力があっても力を使ったら虐待。技術があっても2人同時には止められない。
      有効な対応策ってほぼないんじゃないかな??と思わざるを得ない。
      でも絶対に必要な仕事だとは思う。
      極端な話、「じゃあそんな仕事やらなきゃいい」で誰もやらなかったら。
      施設が運営できなくなる。そんな場所ばかりになったら、家庭で見るしか手段がなくなる。
      となると、見切れなかったら強行を持つ人が、自由に外を闊歩してしまう可能性もある。
      となると、本人にも一般の方にも怪我の可能性がある。

      考えても有効策はないから、報酬を高く設定して人を沢山投入して対応するしかないと個人的には思うんだよね。

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