精神障がい者支援施設で起きる虐待について、支援者の目線から考える② 【汚物について思う事】

前回からの続きです。今回の記事は個人的には粗暴行為と双璧をなす、汚物系についてのお話になります。こちらも人によっては、気分不快になる可能性が高いと思いますので、ご興味のある方だけお読みください。

それでは。

汚物に対しての嫌悪感てどういう事?

僕が入所施設で働く事になった際、強く抵抗があった要素が2つあります。一つは前回の記事の様な利用者からの粗暴行為。

これは単純に粗暴行動によって痛みを与えられるのが嫌なのと、自分にそれを止められるか?解決出来るのだろうか?という不安。あとは何が起きるか分からない。予想が殆どつかないという意味など、色んな意味でとても怖かった。

そしてもう一つ同じくらいに不安が強かったのが「大便に対して」であった。今でこそ利用者の汚物処理は日常になり、プライベートでも娘の育児でオムツ交換を頻繁に行い、自分以外の他者の大便を処理する事にさほど抵抗はなくなった。(まぁ娘のオムツ交換は、全然話が違うかもしれないが)

しかし入所施設で働く以前の僕の様な、一般の方はどうだろう?他者の、それも成人男性の大便に何の抵抗も抱かない人はいるだろうか?他者の大便と縁遠い生活をしていた入職前、僕は大便に対しての不安を強くもっていた。

僕が少し潔癖症的な部分もあったかもしれないが、それまでの人生で他者の大便に接する機会は殆どなく、シンプルに自分以外の大便を自分が片付ける事は嫌だった。

昔、居酒屋のバイトをしていた時に、食中毒防止などの為検便を定期的におこなっていた。数ヶ月に1回自分の大便の欠片を提出しなければならなったのだが、この時自分の大便を直視し採取する。そういった作業を自分の大便にするのにも心理的に抵抗はあり、少なからず嫌な気持ちが湧いたりもしていた。

自分のものですら嫌なのだ。当然他人の大便など、近づく事にも強い抵抗と嫌悪感があった。ここは個人差あると思うけど、僕は入職前、大便というものに対してはそんな言いようもない不快感と不安感をもっていた。

利用者の大便と対面

入職して1ヶ月経つ頃だろうか?何か臭いなと思い、ある利用者(仮にAさん)の居室を開けたところ、Aさんの4畳半ほどの居室の床に、きな大便が鎮座していた。

最初は衝撃的であった。部屋の床に当たり前の様にガッツリと大便があるのだから。

日常生活ではまずお目にかかれない光景で、大便の処理に慣れていないウブな僕は、その光景と強烈な匂いに身体の奥から吐き気が込み上げてきた記憶がある。先輩職員に教えてもらい、ゴム手袋を着用し、トイレットペーパーをぐるぐる巻いて、手で大便を掴む。

ゴム手袋とトイレットペーパー越しにも、掴んだ大便の熱や柔らかさが伝わってくる気がする。それと同時に強烈な臭いが鼻に飛び込んで鼻腔を乱暴にそして強烈に刺激してくる。そんな感じで最初の大便処理はゴム手袋やトイレットペーパー越しでも、強烈な抵抗があったと記憶している。

掴んだ大便をトイレに持って行き流す。これを10回ほど繰り返し、大部分の大便を片付ける。最後ハイターと水を混ぜた次亜塩素酸ナトリウムを床に散布し、あたり一帯を丹念に拭き取って終了。

字面にしてしまえば大した事ないが、これらの作業は‥施設は窓が殆ど開かない為殆ど換気が行えない。その為、強烈な大便の臭いがする中で清掃作業をおこなう。

しかも、場合によっては片付けた次の瞬間、おかわりと言わんばかりに、第二波、第三波と立て続けに脱糞し、大便清掃の順番待ちになる事だってある。字面にしてしまえば本当に大した事ないが、大便処理も頻繁におこなうのは、なかなかに骨の折れる作業であった。

しかし同時に、5年勤める中で、この大便処理という作業にはいくらか慣れたとも思う。大便処理は本当に数えきれないほどおこなった。

人間の慣れというのは凄いもので、数をこなしていると、その度にいちいち立ち止まって考えたり感じたりする事はなくなる。思考を停止しさっさと片付ける事に思考と行動が変化していった感じがあり、それに伴い嫌悪感はいくらか低下した様に思う。

こうして、僕は嫌々ながらも数をこなすことによって、汚物処理に慣れていった。そして汚物処理は重度の利用者と接する障がい福祉での基本業務だという事を思い知らされた。

大便処理は、基本である。もしこれを読んでいる方の中でここに強く抵抗を感じる人が居たら…自分なりに折り合いをつけていかないと、重度障がいを持つ方と関わる仕事では、まともに戦力にならないかもしれない。

大便処理の何がそんなに嫌悪感なのか?

大便処理と一言で言っても色々ある。

結論から言ってしまうと、僕は意図的な脱糞であるか否かが働いている側の感情にかなり違った影響を及ぼすと思っている。

シンプルに大便を漏らしてしまう人はいい。病気や身体疾患、その日のお腹のコンディションや食べたものなど、色々な理由で漏らしてしまうのは人間ならば仕方ないと思う。

お腹の具合が悪くなる事は人間だったら皆ある。わざとではなく漏らしてしまった。全然いい。可愛いものだ。

便失敗してしまった、その便を処理するのは支援者としての仕事。大便自体への抵抗はあっても、精神的には理解納得できてたし、これを片付けたり清体するのは業務上至極当然だと思っていた。

だけど、同じ脱糞でも、そう感じる事が出来ないパターンも多かった。

精神的に削られる脱糞について

同じ大便でも、心を削られる脱糞や状況というものがある。大便処理はたくさんしてきたが、その中でメンタル削られたな〜と思った利用者の行動を具体的に記載させていただく。

職員の制止を振り切って突然廊下で大便をしてしまう。(一回ではなく何度も)

居室内の床で、豪快に大便してしまう。(毎日のように)

浴槽で大便をしてかき混ぜてしまう。(かなりの高頻度で)

制止をしても壁や床に大便を塗りたくってしまう。

肛門から掻き出した大便をこちらに向けて投げてくる。

下痢便を床にぬりたくって茶色の染みを作り、そこを転がって泳ぐ。

肛門から掻き出した大便を身体や、傷口にぬりたくる。

肛門から掻き出した大便を飲み込み、それを嘔吐して嘔吐物でコーティングした大便を投げてくる。

大便に関してパッと思い浮かぶメンタル削られたな〜。というのが上記の行動である。

上記の行動は障がいによって引き起こされており、それ故の行動で仕方ない。別に彼らが意図的に悪意をもってやっている訳じゃ無い。頭では理解できる。理解はしていつつも感情が拒絶する。当時の僕の心理状況はそんな状態であった。

申し訳ないが吐き気を催す場面は度々あったし、彼らのそういった行動は嫌悪感を通り越して、憎しみに似た気持ちを抱く事すら正直言ってあった。(だってそれらを全部片付けるのは自分だから。)

心の底から腑に落ちて、「彼らだってやりたくてやっているから仕方ないの」と自身のメンタルが全く削られず、淡々と処理できる人。そういう人はいるのだろうか?

僕は少なくともその境地にはたてなかったポンコツ支援員だったし「これは職業だから嫌悪感を持つな」と言われても難しかった。

排泄物からくる野生の動物みたいな感覚

ここは少し余談になるので適当に読み流してもらいたいのだが…

大便を弄ぶ利用者と多く関わることによって、自分自身なんとなく不思議な感覚になる事があった。この感覚が福祉施設での虐待や殺人などの事件と、全く無関係とも思えないので、少し脱線するかもですが、書き記していきたい。

排泄物を弄ぶというのは、うまく言えないのだがスカトロ系の特殊性癖の人を除き、人類の大多数にとって受け入れ難い領域だと思うのだ。特殊性癖の人だって、意中の相手とか、自分が認めた他者(女王様)の黄金(大便)でないと嫌であろう。

何度も利用者が汚物を弄ぶ現場に関わっていて思ったのが、大量の大便は、人間の本能というか理性の境界線揺らがせる力があるという、妙な感覚だった。

なんというか人間も動物なのだ。排泄物に囲まれていると、動物本能的にそこには拒絶感が湧く。糞尿を垂れ流す行為を繰り返している人の付近で、その臭いのもとである大便を片付けている際、自分が酷く動物的な感覚になったりもした。

う〜ん‥うまく言語化できないので本当に言葉を選ばずに、ありのままを書かせていただく。以下、夜勤中に静まり返った廊下で、1人で大量の大便を片付けている時の自分の心の声↓

「大量の大便に囲まれて、なんだろう?この状況?自分は一体何をしているんだろう?」

「こんな夜中、誰もいないこの場所で沢山の大便に囲まれてるこの状況。たとえ今ここで自分が大便をしても、誰にも分からないだろうな。」

「はあぁ。大便だらけだ。床も壁も大便大便。よくこんなに沢山の大便が出るな。」

「何も気にせずしたいところで大便をして、片付けはせず自然に任せる。とても動物的だな。さぞ気持ちいいだろうな。」

「さっきまで胃の内容物が逆流しそうな強烈な臭いだったが、段々鼻が慣れてきたのかな。臭いがあまりしなくなったな…」

「俺が大便に慣れたのかな。それとも俺自身の属性が大便に近くなったのかな?自分の臭いってあまり分からないし。」

「実は人間と大便ってそんな変わらないんじゃないか?あれ?改めて考えると何が違うんだっけ?」

「もしかしたら自分は大便なのかもしれない。周りに大便沢山だし、ニオイしないし。」

「そもそも人と大便は出所も近いし、大差ないのかもしれない。だとしたら大便と動物の境目ってなんだろうか?」

「ん?人間の定義ってなんだっけ?あれれ?人間ってそもそも排泄物を弄んだり、口に入れたりするんだっけ?」

「え?じゃあ目の前にいるこの人(利用者)は何だ?動物?人間?大便??なんだかよくわかんなくなってきちゃった‥」

夜勤中、仮眠を叩き起こされ、眠さマックス中、意識が朦朧とする中、静まり返った暗がりの廊下で1人。利用者の大量の大便を孤独に掃除している時、ふとこんな風な支離滅裂で危ない思考が頭に浮かぶ時があった。

理性が揺らぎ、自分が人間なのか大便なのか、一瞬違いが分からなくなったり、利用者が人間なのか動物なのか、そのあたりの定義が揺らぐ時という瞬間があった。これは、今思い返しても異常だと思う。

僕はこの辺りが精神的に潜った最深部分で、幸運な事に引き返す事ができた。が、もしもっと勤続年数が長く過酷な現場に頻繁に出くわす機会が多かったら、もしかしたら危険思想の領域に入っていた可能性はあったかもしれないなと思ったりもする。

あまりに現代社会の一般家庭の生活と乖離している状態を見続け、そこに触れ続けると、自分自身もそこに染まり出し、今まで普通だと思っていた精神状態から徐々に逸脱していって、状況によっては危険思想の領域に足を踏み入れかねない時もあるのかもなと思った出来事でした。

まとめ

以上が精神障がい施設での支援の中での、汚物系について思った事である。僕が働いていた施設では重度の疾患をもつ利用者が数人いた為、もしかしたら、軽めの利用者が多い施設では、こんなに頻繁に脱糞はないかもしれない。

ただ、「なぜ虐待が起きるのか?」という観点で見たら、粗暴と汚物この2点が虐待行動を引き起こすのに、無関係とは考えられない為語らせていただいた。

なんだか、「施設職員は大変なんです!」という、苦労自慢みたいな話の連続で読む人によっては、気分不快マックスかもしれませんが、なんとなく現場のイメージがついたかと思います。

世の中に大変な仕事は沢山ありますが、精神障がい支援の施設も、まぁまぁ大変な仕事だとは思うのです。しかしにも関わらず、いろいろな面で【保証の薄さ】というものがあり、それが虐待などに拍車をかけていると思うのです。次の記事はその【保証の薄さ】について書いていきたいと思います。

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