僕は、自分自身が変化成長する為には具体的に3つのステップを踏む必要があると思っています。結論から述べさせていただくと、そのステップは以下の通りです。
人が変わる為の3ステップ
- 自分の問題に気づく
- 抵抗に折り合いをつけて受け入れる
- 以前とは違う行動を取る
1、自分の問題に気づくことが最大の壁
一つ例え話をします。仮に貴方はプロボクサーだとします。今は試合中で対面する相手がストレートで渾身の一撃を放ってきたとします。貴方はどうするでしょうか?体力に余裕があるなら躱す、躱す程の余裕がないならば、顎に一撃を喰らわない様にガードするなり、打撃部位をズラしてダメージ軽減に努めたり、何らかの対処をすると思います。
対して、同じく貴方はプロのボクサーであったとしても、いきなり夜道で背後から気配すらなく忍び寄られた相手に、後頭部を鉄パイプで殴りかかられたらどうだろうか?
漫画ならば相手の殺気や息遣いなどを感じ取り、後ろから忍び寄る相手の攻撃を躱すなんてお手の物ですが、そんな事は普通の人間には不可能に近く、基本的に対処行動は気づいた(目で視認した)段階からスタートします。
勿論気づくのが遅ければ対処は後手にまわり、致命傷の一撃を食らう可能性が上がります。もし背後に襲撃者がいる事に全く気づかず、何の対処も出来ずにいたら、それこそ気づかずに後頭部に一撃を食らって終了です。
勿論これは例えば話ですが、この例え話で何が言いたいのかというと…
全ての問題は、気づいた時点が対処のスタート地点。逆に言えば、問題に気づかないと対処の行動をスタートする事が出来ない。という事。正面から殴りかかられれば目で視認できるので、即座に何らかの対処をする。しかし認識していない箇所からでの問題は何も出来ないのである。
この「認識しないと行動出来ない」という事実を、僕はめちゃくちゃ重要な真理かと思っています。これは基本的に全ての問題に当てはまる。
借金だって、いくらあるのか整理して月々の支払い額を認識してから返済という問題に乗り出す。ダイエットや生活習慣の改善、恋人や配偶者との不仲や家族問題、職場問題、程度の差こそあれ、必ずどこかのタイミングで「あれ?自分やばくない?」「このままだとやばい事になるぞ!」という認識が生まれるはずです。その認識があった後に、それらは自分の中で、捨て置けない問題になり、対処の為の方策を考えるという順序になります。ここに例外はないのではないでしょうか?
しつこいですが大切なことなのでもう一度。認識していない事は対処出来ない。だから認識し、問題を顕在化する事は、自己の成長の上でとんでもなく重要である。問題を認識せずして解決・自己成長は不可能である。
2,抵抗に折り合いをつけて受け入れる
さて問題を認識した後、次に行う事はなんだろうか?ここでもまた質問をさせて下さい。
質問→貴方は他者からどう見られたいですか?AかBのどちらに近いでしょうか?考えてみて下さい。
答えA | 答えB |
賢い人に見られたい | 馬鹿者に見られたい |
かっこよく見られたい | ダサく見られたい |
立派に見られたい | 無様に見られたい |
楽しい人と見られたい | つまらない人と見られたい |
筋を通す人と見られたい | 筋を通さない人と見られたい |
誠実な人だと見られたい | 不誠実な人と見られたい |
正直者だと見られたい | 嘘つきだと見られたい |
親切な人に見られたい | 不親切な人に見られたい |
優しい人に見られたい | 冷たい人に見られたい |
家族友人想いに見られたい | 薄情者に見られたい |
善人に見られたい | 悪人に見られたい |
この質問、貴方はどう思っただろうか?例えば「他者に自分という人間を高く見られすぎてハードルを上がると、やりづらいから馬鹿に見られるくらいで丁度良いんです」という対人関係で自分をあえて下に下げる様な考え方はあるにしても、一部の例外を除き多くの人が心の底ではBの答えの様に自分を見られたいとは思っていないと思うのです。
基本的には人間は他者から、答えAの様な良き状態で自分というものを認識してほしいと願う場合が多いハズ。僕もAの様に見られたいと心の深い所では思っています。
この質問で何が言いたいのかと言うと、1にて自分の問題を認識した場合、今度はこの「他者からよく見られたい自分」という物が強烈な抵抗となって邪魔をしてきます。
この他者からよく見られたい自分が具体的に何をするのか?それは非常に迷惑な話なんですが、せっかく気づいた問題を彼方へ放り投げ、忘れさろうとするのです。シンプルに言ってしまえば現実逃避という奴ですね。
「自分の責任ではない」という合理化・自己正当化の罠
もし仮に、自分に問題がある状態になってしまったら=Bの様に他者から見られてしまう。こんな風に思う人は少なくないはず。
「自分はBの様な人間である」こういった他者からの認識に恐怖や不快感を抱かない人はいないでしょう。もしくは長年親からそういった価値観で教育を受けてきた人もいるでしょう。なのでここで自分の心の中で抵抗が起きます。
「自分はBの様な人間ではない」「自分はBの様な人間であってはならない」「よく考えたらこれは仕方なかった」「誰でもそうなるよね。」「むしろ自分のせいではなく〇〇のせいだよね。」と、問題の所在や責任は自分ではなく、他者や環境など自分以外の何かに転換しようとします。これは心理学では合理化という現象で、イソップ童話の「酸っぱいブドウ」の話が有名ですね。(興味のある方はググってみて下さい)
合理化や自己正当化は、自分にとっての不都合な真実に直面して傷つかない為の防衛機制と言われています。なので、自分が心に深い傷を負って身動きが取れなくならない様にする為の、脳の防御反応なので絶対に悪いことという訳ではないのですが、あまりに頻繁に合理化や自己正当化を行ってしまい、ストレスを感じると即座に合理化・自己正当化と心の癖になってしまうと、本来は明らかに自分に責任がある事や、確かに相手が悪いけど…自分にだって悪いところがあったといった様な事も、相手の責任と自分の責任をバランス良く見ることが出来なくなり、いつでも「相手が悪い!」「相手からやってきたから!」という他責の思考になり、自責を思考が消えてしまう可能性が非常に高いのです。
つまり苦しいですがこの…
「これは自分のせいではない」「相手の責任だ」「相手が酷い物言いしたからだ」という他罰的思考、他責の思考を変化させる必要があります。ここが自己変化・成長を行う上で最大の壁といっても良いかもしれません。
慣れた人であれば、この1と2の行程は造作もないことなのですが、他責思考が心に染み付いているいる人は、1と2をクリアーするのは簡単ではありません。1と2をクリアーする為には色々な方法があり、それは別で記事を書きますが、基本的には自分にとって不都合な真実を、手を変え品を変え受け入れる事になります。
3,以前とは違う行動を取る
1と2がクリアー出来た人は、やるべきことはシンプルで、今までと違う行動を取る事です。
これは自分が今まで、あまり挨拶をしていない人であったなら、挨拶を自分からしてみる。等はじめはそのレベルでも大丈夫です。勿論今までやっていなかったといって、より悪いことをするという話ではなく、今までやっていなかった善き行いをするという事。
この善き行いって何?と言われると、その場の状況次第で変化するのでこの場でこれですよ。と断言は難しいのですが、(そのうち効果的な行動リストも別記事にて作成したいです)、ただひとつ断言できるのは、大切なのは「自分から行動する」という事です。例えば挨拶を自分からする。謝罪を自分からする。自己紹介を自分からする。会議などで自分から発言をする。お礼を自分から言う。等が日常的に行えるようになれば、目に見えて効果があると思います。誰かがやったから自分もやるではなく、誰もやっていなくても自分で行う。ここがポイントでとても重要です。
まとめ
人が変わるということは、つまるところ問題行動の回数が減り、善き行いが増えそれが常態化するという事です。まずは自分の問題行動を認識し、出来ることから少しずつ減らし、別のプラス行動に置き換えましょう。一気に変えることは不可能でも、100あった問題行動が70に減り、10でも20でも善き行動が増えると、周りからの目や現実が目に見えて変わり始めます。
そうなると、自分も気分が良くなり、徐々にプラス行動が取ることが楽しくなり、プラス行動が増え始めます。
一気に変えることは不可能ですが、少しずつ変化する。そのためのヒントをこのブログでは少しずつ発信し続けられたらと思います。
コメント